法事 老いてしみじみ分かる夫婦ふたりの有難さ!

突然ですが、数年前の法事でのことです

私のよく知っているひとが法事に出たときにもらった手記が胸にジンときましたとのことでした。

今回はその手記を、取り上げさせていただきます。

もちろん、その方には匿名でなら公開しても良いということで了解を得てありますのでご安心ください。

主人の三十三回忌においで下さいまして誠に有難うございます。

そのうえに仏前にお供え物、ご香料をたくさん頂き、重ねて御礼申し上げます。

振り返ってみますと、主人は昭和まるまる年一月八日の夕方、オートバイで会社から帰宅途中の交差点において、車同士の衝突事故の巻き添えで、頭部に致命的な損傷を受け、救急車で日赤病院に運ばれまれました。

二日間の懸命な治療の甲斐もなく、十日の午前八時十二分に四十三歳の若さで生涯を閉じました。

十一日夜がお通夜でしたが、私は、その日の朝も元気で会社に出かけた主人の通夜など信じられませんでした。

十二日の葬式は、親戚の皆様のお陰で無事に終わりました。

主人の実兄は、市役所に勤めていましたので、それまでの市役所関係の用事はすべてお願いしており、私は行ったことありませんでした。

その時初めて実兄、親戚の方々に市役所に連れて行ってもらい、いろいろな手続きをすることができました。

その時の有難さは、今でも忘れません。

私は毎日、“お父さんを返せ”と言って泣き狂っていました

主人がいなくなってしばらくは、私は毎日、加害者二人の名前を呼んで“お父さんを返せ”と言って泣き狂っていました。

ひとに会いたくもなく、家の中だけに閉じこもっていました。

ある夜、高校三年生だった長男に「子供が四人もいるのに、おふくろが気違いになったらどうなるんだ!しっかりしてくれ」と言われ、やっと気づきました。

これではいけないと、直ぐに仏壇の前に座り、泣きながら“どうか四人の子供がひとりでご飯を食べられるまで、私も元気で生かさせて下さい”と頼みました。

私たち母子が、これまで元気で過ごしてこられたのは、親戚の皆様があたたかく見守って下さったお陰と有難く思っています。

三十二年間は長い年月です。

苦しい日、悲しい時もいっぱいありました。

四十歳だった私も、いつの間にか古希を過ぎましたが、ご先祖様のご加護を受けながら、今は毎日を幸せに過ごしています。

子どもたちもそれぞれ家庭を持ち、元気で暮らしています。

孫も七人になりました。

私は、一人になって初めて夫婦の有難さがわかりました。

皆さまもお体を大切にされ、お二人揃って長生きしてください。

今日は本当に有難うございました。

私は、手記を書き写していて涙が零れました

ご主人は年齢40歳そこそこで交通事故の巻き添えで亡くなったのです。

突然の事故で信じられなかったでしょうし、気違いのように半狂乱になってしまったのも無理はないでしょう。

高校三年の長男をはじめ、まだ小学生だった子ども四人をおんな一人で育てなければいけないし、苦しいし辛かったでありましょう。

実は、種明かしですが子どもの次男は、当ブログを記している私のこと

そのころは交通遺児と言われていました。

私も辛かったのですが、学校に「父親参観日」という日があったのが一番辛くて泣けました。

みんなには普通に父親がいるのに、自分は不幸なことで父親を亡くしていなかったからです。

今となっては、懐かしい昔ばなしになりつつあります。

ここまで、読んでくださり本当に有難うございました。

 

以上です。

 

 

 

 

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